「北条政子」等数々の歴史小説を手掛け、NHKの大河ドラマの原作者としても有名な直木賞作家の永井路子さんが、1月27日97歳で東京都内の病院にて老衰によりお亡くなりになりました。
永井路子さんは戦後、これまでの歴史観にとらわれず独自の視点で歴史小説を書き続けられ、「北条政子」や「乱紋」「山霧毛利元就の妻」等歴史の中の女性の役割にピックアップされた作品を多く発表され、1965年に鎌倉時代を舞台にした歴史小説「炎環」で直木賞を受賞されています。
その永井路子さんは、どのような人生を歩まれてきたのか、また若いころはどんな感じであったのか気になりましたので調査してみました。
・永井路子さんの若いころ、画像についても
・永井路子さんの子供や夫は? ・永井路子さんの本名や出身地について ・まとめ |
永井路子の若いころ 画像も
永井路子さんは最近のお写真を見ても素敵なお方だと拝見できますが、お若いころはどうだったのだろうかととても気になりましたので調査しました。
近年のお写真を拝見しましたが、とても素敵で知的なマダムといったような感じに思えます。
歴史小説家の永井路子さん死去
老衰のため 97歳https://t.co/vtIvBkhB7M1965年に「炎環」で直木賞を受賞。「源頼朝の世界」「北条政子」「山霧」など多くの作品を執筆。著作はNHK大河ドラマ『草燃える』『毛利元就』の原作となった。#永井路子さん #永井先生
— ORICON NEWS(オリコンニュース) (@oricon) February 9, 2023
お若い時も素敵な女性に見えますね。
ご逝去された古河市名誉市民の永井路子どのは編集者の手腕も素晴らしく、当時は若い男性社員の憧れの的の存在だったと大村彦次郎どのは言っているにゃ。
永井どのの担当作家には芥川賞作家の松本清張どのがいるにゃ。
司馬遼太郎が発起人となった「近代説話」にも同人として参加ししていいるにゃ〈に〉 pic.twitter.com/efpbVcxerL— こがにゃんこ@古河駅ありがとう✨✨✨ (@kg_nyanko) February 10, 2023
永井路子さんは茨城県立古河高等女学校卒業され、1994年には東京女子大学国語専攻部を卒業、戦後は東京大学で経済史を学んでおられます。
永井路子さんの若いころには珍しい高学歴の女性だったのではないでしょうか。
今でもその学歴を見てもすごい!という感想が真っ先に頭に浮かびます。
1949年小学館に入社され、「女学生の友」や「マドモアゼル」等の雑誌の編集に従事され、その編集の仕事の傍ら歴史小説の執筆をされるようになります。
そして1958年、永井路子というペンネームを使用するようになりました。
優秀な編集者として活躍されていた永井路子さんですが、1961年に小学館を退社し、作家活動に専念されるようになります。
「草燃える」「毛利元就」等の代表作はNHK大河ドラマに原作として使用されています。
永井路子さんの夫は?子供はいたのか
永井路子さんは、小学館に入社した1949年、歴史学者である黒板伸夫さんと結婚されています。
黒板伸夫さんも東京大学文学部国史学科を卒業後、同大学院を修了している高学歴の方です。
卒業後、平安博物館の嘱託と吉川弘文館の編集長を経て歴史学者となられています。
清泉女子大学の教授や醍醐寺霊宝の館長も務められ、2015年に92歳でお亡くなりになられております。
黒板伸夫さんは「大日本古文書」の編纂やエスペラント語の普及に努めた文学博士としても著名な歴史学者の黒板勝美さんの甥子さんでもあります。
永井路子さんが結婚後に優れた歴史小説の数々を残されていますが、独自の視点から描かれた小説は研究熱心な黒板伸夫さんに刺激を受けたのかもしれません。
永井路子さんと黒板伸夫さんとの間にはお子さんはいらっしゃらなかったようです。
しかし、黒板伸夫さんは永井路子さんを本当に大切にされていたようで、永井路子さんがお話されている時はじっと永井路子さんのお話を聞きながら目を見つめていたり、いつも側で優しく見守っていたと言われており、本当に素敵なご夫婦だっとことが分かると思います。
永井路子さんの本名や出身地について
永井路子さんの本名
永井路子さんは前出したように、ペンネームです。
本名は、黒板擴子とのことです。
何となく本名の方がペンネームのように変わった名前に見えますね。
永井路子さんの出身地や居住地
永井路子さんは東京都で生まれました。
3歳の時に母親の郷里である茨城県古河市に移り住んでいます。
県立古河高等女学校を卒業後、東京女子大学に進学しており、在学中は都内の学生寮で過ごされていましたが、24歳で結婚して東京に転居するまで古河市で過ごされています。
1962年に神奈川県鎌倉市に移住されました。
転居から2年後に鎌倉幕府を題材とした歴史小説「炎環」で直木賞を受賞されました。
永井路子さんは第二の故郷と呼べる存在のように鎌倉を愛されていたので、作品に鎌倉をしたためたのでしょう。
そこまでこよなく街のことを愛せるなんて人生が豊かになれると思いますし、素敵な人生だったのではないかと思います。
2000年には東京都品川に転居されています。
まとめ
今回は直木賞作家である永井路子さんの若いころや子供や夫についてまとめました。
永井路子さんは最近までテレビ出演されたり、地方紙でエッセイを連載されたりと生涯現役で執筆活動を続けてこられていました。
永井路子さんの夫は歴史学者の黒板伸夫さんでお子さんはいらっしゃらなかったようですが、2015年に92歳で黒板伸夫さんが肺炎でお亡くなりになるまでは仲睦まじいご夫婦だったことがわかりました。
素敵な歳の重ね方をされたことが分かり、優秀な作家さんであるとともに、素敵な女性だった永井路子さん。
ご冥福をお祈りいたします。
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